時間は「巻戻し」できない。だから「今」。

 

 

おはようございます。

着火ウーマン、矢野圭夏です。

 

 

 

 

今朝、起きたら豪雨でした。

まるで、何かを洗い流そうとするかのような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友人の大切な人が天に召されました。

突然のことだったそうです。

 

 

 

 

 

 

私はその方を存じ上げないですが

友人の語る様子から

まるで私の友人であるかのような気持ちになり、

一緒になって泣いてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の中には、行き場をなくした

 

「言えなかったこと」や

「聴けなかったこと」や

「できなかったこと」が

 

渦巻いていたようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

いくら整理しようとしても出てくるセリフは

 

「今となっては、もう、できない」

 

悔やむ気持ちが収まらないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3年前、私の祖母が亡くなりました。

89歳でした。

 もう少しで90歳の誕生日を迎えるところでした。

 

 

 

 

 

大阪の母から連絡をもらいましたが

葬儀に駆けつけることができず、

結局、3年経ってやっとお墓参りができました。

 

 

 

 

 

あんなことも話したかった。

こんなことも聞きたかった。

もっと一緒に過ごしたかった。

 

 

 

 

 

 

今となっては、やっぱり

最期を見送るべきだったと後悔しています。

 

 

 

 

鹿児島から大阪まで、

おばあちゃんとの永遠の別れに比べれば

どうってことない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その経験があってか、

昨年、義理の祖母が亡くなった時は

すべての予定をキャンセルして、

最期を見送りに甲府へ駆けつけました。

 

 

 

 

 

 

綺麗にお化粧をした祖母の姿。

89歳。

本当なら、2週間後の喜寿祝いで会えるはずでした。

 

 

 

 

 

 

もう話はできないけど、

そこに居る、そばに居る、

それだけで心が安らぎ

ちゃんとお別れができた気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の最期はいつ来るか分からない。

だからこそ、「今を生きる」なんだなぁって

思います。

 

 

 

 

 

 

 

「いつかという日は来ない!」

とブログに書きましたが、

 

 

 

 

「いつか」の約束が果たされる前に

時間が来てしまうこともある。

 

 

 

 

そしてその時間は二度と戻らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前で、想いを打ち明けてくれた友人。

 

 

どうか弔いができますように、と祈りながら

言葉を選び語り合っていたのですが、同時に

その友人と過ごす時間の愛おしさ、豊かさを

味わい、感謝していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気の置けない友人と

顔を突き合わせて語る時間。

 

 

 

 

 

どんな高価な贈り物よりも

「時間の共有」はかけがえのないギフトです。

 

 

 

 

 

 

会いたい人に会って、

好きな人には「好き」と言う。

 

行きたいところに行く。

 

やりたいことをやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの限りある人生、

誰と、どのような時間を

過ごしますか?

 

 

 

 

 

Kさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

 

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